2012年02月04日

明六一揆論(8):詫書

部落が農民に対して出した「詫書」(詫状)には何が書かれていたのだろうか。

『備前・備中・美作百姓一揆史料』(第5巻)所収「初屋文書」より「差入申御詫書」を転載し,内容を考察してみる。

       差入申御詫書

私共儀,従来穢多之称ニ而御平民様と格別之隔別有之,御本村様御規定御座候処,御一新ニ付而は難有御趣意ヲ以て,御天朝様ヨリ平民同様被為仰出,古来稀成趣意之程奉戴,格別相慎ミ可申之処,却而心得違ノ廉ニ奉恐入先非後悔罷在候,然ル上は土居内一同相慎ミ,向後従前之通礼譲相守,急度相勤可申候,尚御本村は不及申他村ニ至ル迄,御門内ニおいて履物等仕間敷候,且途中ニ而御出合申候節は,従前之通履物ヲ取,厚ク礼譲ヲ尽可申候間,是迄心得違之段平ニ御免被成下度,偏ニ御詫奉申上候,依之一同連印御詫一礼奉差上候処如件

明治六年五月廿九日
                  勝加茂東村  元穢多  籾吉
                                外廿名
御百姓衆中 様

次の「詫書」は錦織村が差し出したものである。

(前欠カ)

村方へハ御沙汰無之ニ付,銘々一同恐レ罷在共,何卒御違乱之思召ニ候ハヽ,今後御気ニ叶候段順可仕候,尚亦召連之思召ニ候得共,猶更違背仕間敷候間,御焼亡之義偏ニ御容怒被成下度,一村一同臥而御詫申上候,以上

明治六年 酉五月廿八日
                    第廿六区
                    久米北条郡大久保村
                    惣代
                    勘次郎以下 九十三名
各村々
御一統衆中 様    

先日訪ねた「中津井騒擾・美作騒擾」パネル展で公開されていた「詫状」がある。
これは,かつて私が拝見した原文を現代語訳したものであると思う。出典が明記されていなかったので,私も明らかにはできないが,原文の文字には一揆勢に対する恐怖と無念の思い,屈辱が滲み出ていた。

     あやまり一札の事

                 我々義
従前よりは別けて あい慎み無礼等
仕りまじく なおこの上はいかようにも
あやまりいりそうろう間 このたびおたすけ
お願い申し上げたてまつり 後日のため土井内連印
あやまり一札差し出す所 よってくだんのごとし

                 □□□之内
                      □□
明治六年五月廿九日
                  誤主(謝主)
                    十四名
                    以上連印
御旦那中様

一揆勢に襲撃された部落のほとんどが「詫書」を書いて,解放令以後の非礼・増長を詫び,「旧慣」を守って従前通りの身分(の扱い)でかまわないと誓約している。

posted by 藤田孝志 at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 明六一揆 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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