2011年04月30日

鶴島:キリシタン殉教の地

慶応3(1867)年,長崎奉行の報告を受けた幕府が密偵に命じて浦上のカトリック信徒組織を調査し,7月14日の深夜,秘密の教会堂を幕吏が急襲したのを皮切りに,高木仙右衛門ら信徒ら68人を一斉に捕縛した。
明治政府は,明治元(1868)年から翌年にかけて信仰を公にして棄教を拒否した信徒を,富山以西の21か所に流罪とした。このキリシタン弾圧を「浦上四番崩れ」という。

明治2(1869)年,捕らえられたキリシタンのうち117人が備前岡山藩に預けられ,翌年9月に改宗と土地の開墾を目的に,和気郡日生村(現備前市日生)の鶴島に移送された。
彼らは明治6年のキリスト教解禁令により信教の自由が認められ,同年4月に長崎県浦上に送還されるまで,鶴島で過ごすことになった。

鶴島は岡山城下から50q,日生の港から8qに位置する周囲約2qの小さな島である。

岡山藩は島の西側に信徒たちの流人長屋と監視役人の番所を建てた。
島の中央に「改宗の祠」をつくり,週に2回ほど信徒たちを集めて神官による説教が行われ,神道への改宗を迫った。信仰を捨てなかった者もいるが,説教や拷問により約半数が改宗した。

鶴島では,開墾により大豆や麦,サツマイモ,綿花や胡麻などが栽培されたが,収穫物が信徒たちの口に入ることなく,県を通じて国へと納入された。

現在の鶴島には,亡くなった信徒18人の墓地や,長屋跡,古井戸が残されている。

posted by 藤田孝志 at 06:34| Comment(0) | TrackBack(0) | キリシタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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